「エルサレム」

エルサレム

エルサレム
יְרוּשָׁלַיִם
أورشليم القدس
オリーブ山から望むエルサレム市街地
市旗 市章
位置
の位置図
座標: 31°47′N, 35°13′E
歴史
旧名
創設者
行政
イスラエル
 地区 エルサレム地区
 市 エルサレム
市長 ウリ・ルポリアンスキー
地理
面積  
  市域 125.2 km²
    陸上
    水面    km²
      水面面積比率
  市街地
  都市圏
標高
人口動態
人口 2007年現在)
  市域 732,100 人
    人口密度   5,852 人/km²
  市街地
    市街地人口密度
  都市圏
    都市圏人口密度
  備考
その他
等時帯
  夏時間
市外局番
ナンバープレート
ISO 3166-2
公式ウェブサイト: The Jerusalem Websaite
東エルサレム

エルサレム יְרוּשָׁלַיִםヘルプファイル)は、西部についてはイスラエルが実効支配し、部についてはイスラエルが占領しているものの、パレスチナも領有を主張している内陸都市で、イスラエル首都と主張している都市。人口は2003年3月の資料によると78万人。古代イスラエルユダ王国首都で、エルサレム神殿があった場所である。またイエス・キリストが処刑された地でもあり、ユダヤ教キリスト教イスラム教共通の聖地となっている。(この事から、物事の流行の発信地を「~のメッカ」と呼ぶのと同様に、「~のエルサレム」と比喩に用いられる事がある)

目次

概要

地中海からで約一時間内陸部に入った標高800メートルの小高いの上にある。ユダヤ人が住む西エルサレムとアラブ人居住区であるエルサレムから成り立つ。

ヘブライ語名の יְרוּשָׁלַיִםヘルプファイル (Yerushalayim:イェルシャライィム)は「イール・シャローム(平和の町)」を意味するという説が以前から主流であるが、「ウル・サレム(サレムの礎)」の意味であると主張する学者もおり、確かな由来は判明していない。アラビア語 القُدسヘルプファイル (al-Quds: アル=クドゥス)は「神聖、崇拝」の意だが、古雅にبيت المقدس(Bayt al-Maqdis:バイトゥル=マクディス、「聖なる家」の意)と呼ぶ場合もある。イスラエル国内でのアラビア語の正式名称はأورشليم القدس(Ūrshalīm al-Quds:ウールシャリーム=ルクドゥス)。英語ではJerusalem(ジェルーサレム)という。

東エルサレム

ユダヤ教イスラム教キリスト教の聖地。旧市街(Old City)と呼ばれ、嘆きの壁聖墳墓教会岩のドームといった各宗教ゆかりの施設を訪れる人々が絶えない。嘆きの壁の上は神殿の丘と呼ばれる、かつてのエルサレム神殿の跡で、ここにはイスラム教の聖地アル=アクサー・モスクイスラーム建築の傑作とされる岩のドームが建っている。岩のドームにはムハンマドが旅立ったという伝説があり、地下には最後の審判の日にすべてのがここに集結してくるとされる「魂の井戸」がある(イスラム教ユダヤ教徒の伝統に従い、ユダヤ教最高の神殿跡をイスラム教寺院に改造できる根拠は、ムハンマドおよびイエス・キリストユダヤ教徒にも信頼されうる預言者であって、イスラムがユダヤ教の伝統と矛盾せずにかつユダヤ教を凌駕しているとの主張を示している。ここにパレスチナ問題における宗教的側面での問題がある)。旧市街は「エルサレムの旧市街とその城壁群」の名で1981年世界文化遺産に登録された(ヨルダンによる申請)。

西エルサレム

西側は新市街と呼ばれる近代的な都市で、ヘブライ大学イスラエル博物館、ハイテク工業団地や国会、各省庁などが立地する、イスラエル政治文化の中心である。

交通

テルアビブ・エルサレム間は高速道路で1時間、エゲッドバスが急行で1時間3本程度テルアビブの中央バスセンターから出ている。 エルサレム市内はエゲッドバスが網羅している。エゲッドバスはエルサレム中央バスセンターに発着し、そこからヨルダン川西岸を抜け、死海沿岸を通りゴラン高原方面へ北上するものや、同じく死海沿岸のリゾート地を通ってネゲブ方面へ南下するものもある。鉄道は、エルサレム・マルハ駅とロッド、テルアビブを1時間強で結ぶ路線がある。2008年には市内を循環する新交通システムが開通する予定。

歴史

主要記事:History of Jerusalem

紀元前30世紀頃、カナンと呼ばれていたパレスチナにおいて古代セム系民族がオフェルの丘に集落を築いたのが起源とされている。前1000年頃にヘブライ王国が成立すると、2代目のダビデ王によって都と定められた。その後、3代ソロモン王の死後に王国は南北に分裂、エルサレムはユダ王国の都となった。

その後、新バビロニア王国アケメネス朝ペルシアアレクサンドロス帝国セレウコス朝シリアなどの支配を受け、一時はユダヤ人がハスモン朝を建てて自立するものの、まもなくローマ帝国の支配下におかれた。

638年、アラブ軍による征服でエルサレムはイスラーム勢力の統治下におかれ、7世紀末頃、岩のドームが建設された。970年より、シーア派を掲げるファーティマ朝の支配下に入った。しかし、11世紀後半に大飢饉などによりファーティマ朝が弱体化すると、この地をスンナ派セルジューク朝が占領した。この征服を率いた軍人アトスズは、占領時に略奪や異教徒を含む住民の虐殺などを禁止しており、エルサレムの平安は維持されていた。1098年にファーティマ朝が再びエルサレムを奪回するが、まもなく十字軍の軍勢がエルサレムになだれ込み、多くのムスリムやユダヤ教徒の住民を虐殺した。そして、1099年にエルサレム王国を成立させた。しかし、12世紀後半にアイユーブ朝サラディンがエルサレムを奪回し、再びイスラーム勢力の支配下に入った。1229年、当時のイスラーム側における内部対立にも助けられ、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は、アイユーブ朝のカーミルとの交渉によってエルサレムの譲渡を認めさせた。しかし、1239年にはダマスクスのナースィルによってエルサレムが奪回されたため、その統治は短期的なものに終わった。

第二次世界大戦後の1947年国連案によって都市は旧市街を含む東エルサレムと、西エルサレムに分断された。第一次中東戦争1967年6月の第三次中東戦争(六日間戦争)を経て、ヨルダンによって占領されていた東エルサレムは現在イスラエル管理下にある。イスラエルは東エルサレムとの統合を主張している。1980年にイスラエル議会により、エルサレムはイスラエルの永遠の首都であるとされたが、国連ではその決定の無効が決議された。

宗教とエルサレム

嘆きの壁
岩のドーム‎

エルサレムは単に地理的にパレスチナの要所であるのみならず、アブラハムの宗教にとっての聖地でもある。

ユダヤ教にとっては、エルサレムはユダ王国の首都であった場所であり、その信仰を集めていたエルサレム神殿が置かれていた場所である。幾つかの神聖とされる場所が残っている。中でも嘆きの壁は有名で、これはA.D.70年ローマ帝国がエルサレム神殿を破壊したときに外壁の一部が残されたものである。

キリスト教にとっては、エルサレムはイエス・キリストが教えを述べ、そして処刑され、埋葬され、復活したとされる場所である。それらの場所には、現在はそれぞれ教会が建っている。

イスラム教にとっては、エルサレムはムハンマドが一夜のうちに昇天する旅を体験した場所とされる。クルアーンは、マディーナ(メディナ)に居住していた時代のムハンマドが、神の意志により「聖なるモスク」すなわちマッカ(メッカ)のカアバ神殿から一夜のうちに「遠隔の礼拝堂」すなわちエルサレム神殿までの旅をしたと語っている(17章1節)。伝承によると、このときムハンマドはエルサレムの神殿上の岩から天馬に乗って昇天し、神の御前に至ったのだという。この伝承は、ムハンマドの死後から早い時期にはすでにイスラム教徒の間では事実とみなされており、神殿の丘におけるムハンマドが昇天したとされる場所にはウマイヤ朝の時代に岩のドームが築かれた。また、丘の上には「遠隔の礼拝堂」を記念するアル=アクサー・モスクが建設され、聖なる場所と見なされている。

これらの宗教それぞれにとってエルサレムは重要な都市であるので、エルサレムの帰属の問題はパレスチナ情勢を難しいものとしている一因である。

関連項目

姉妹都市

外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

[ エルサレム ]の改訂履歴 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』
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