「カメルーン」

カメルーン

カメルーン共和国
Republic of Cameroon(英語)
République du Cameroun(フランス語)
カメルーンの国旗 カメルーンの国章
国旗 (国章)
国の標語 : Paix, Travail, Patrie
フランス語: 平和、労働、祖国)
国歌 : カメルーンの国歌
カメルーンの位置
公用語 英語フランス語
首都 ヤウンデ
最大の都市 ドゥアラ
元首
大統領 ポール・ビヤ
首相 (PM エフライム・イノニ
面積
総計 475,440km²52位
水面積率 1.3%
人口
総計(2004年 16,063,678人(59位
人口密度 34人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計(2005年 7兆8,579億CFAフラン
GDPMER
合計(2005年 157億ドル(85位
GDPPPP
合計(2003年 275億9,000万ドル(88位
1人当り 1,800ドル
独立
 - 日付
フランスから
1960年1月1日(西南部はイギリスから1961年
通貨 CFAフランXAF
時間帯 UTC (+1)(DST: なし)
ccTLD CM
国際電話番号 237

カメルーン共和国(カメルーンきょうわこく)、通称カメルーンは、アフリカ中部の。首都はヤウンデ

西から時計回りにナイジェリアチャド中央アフリカコンゴ共和国ガボン赤道ギニアに隣接し、南西部が大西洋ギニア湾に面する。

旧ドイツ植民地からイギリスとフランスの植民地に分かれた経緯がある。非同盟路線を歩むが、経済、文化、軍事面でフランスとの関係が深い。1995年イギリス連邦に加盟した。

目次

国名

正式名称は英語で、Republic of Cameroon(リパブリック・オブ・カメルーン)。フランス語で、République du Cameroun(レピュブリク・デュ・カムルン)。1470年にカメルーンを最初に訪れたポルトガル人がエビの多いことからカマラウン(camarão, 小エビ)と名付けたことに由来する。

日本語の表記は、カメルーン共和国。通称、カメルーン

歴史

詳細はカメルーンの歴史を参照

カメルーン内の遺跡からたどれる歴史は約8000年前まで遡ることができる。カメルーンの先住民ピグミーバカ族である。バンツー語族はカメルーン高地に起源をもつが、侵入者が現れる前に他地域へ移動してしまった。

エンリケ航海王子の死から10年後、1470年12月ポルトガル人がカメルーンに到達。ただし、拠点を築くことはなかった。

1806年にイスラム系王国の支配下におかれた。1870年代になると、ドイツヨーロッパ内の強国となり、併せて沿岸部の都市ドゥアラを中心に入植が始まる。1884年にはドイツ保護領(ドイツ植民地帝国)となる。1911年、ドイツが全土を掌握。

ドイツが敗れた第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約の規定により、1922年には西部がイギリスの「西カメルーン」、東部がフランスの「東カメルーン」として委任統治領となる。第二次世界大戦中、ドゴール自由フランスの拠点の一つとなった。戦後、1946年には信託統治領となり、1957年、東カメルーンには自治が認められた。

アフリカの年でもある1960年、フランス領カメルーンが独立した。大統領は北部出身のイスラム教徒アマドゥ・アヒジョである。イギリス領カメルーンは北部と南部で別々に住民投票を実施した結果、1961年には北部がナイジェリアと合併、南部はカメルーンとの連邦制となった。1972年、連邦制を廃止し、国名をカメルーン連合共和国に変更した。アヒジョ大統領は1965年1970年1975年1980年の大統領選挙で再選されたが、彼のカメルーン人民民主連合の一党支配が嫌われ、1981年に政党を合法化、1982年には辞任した。南部出身の現大統領ポール・ビヤは就任後、何度も選挙に勝ち残ったが、選挙自体の公正さに疑問もある。1984年には国名を現在のカメルーン共和国に変更した。

政治

詳細はカメルーンの政治en:Politics of Cameroonをそれぞれ参照

  • カメルーン憲法は1972年に制定された。1996年の憲法改正によってカメルーン大統領は、カメルーン政府内で行政執行権を行使できるようになった。大統領は広範囲な権力を与えられており、一院制議会に図ることなく行使できる。議会の議席は180人。年3回開催される。議会の目的は法案を通過させることだ。実際、議会が法案を変更すること、成立を阻むことはめったにない。
  • 司法部は行政部門である法務省の下に置かれている。最高裁判所は、大統領が要求した場合に限り、違憲立法審査に着手できる。
  • 主要政党は、与党カメルーン人民民主連合のほか、カメルーン国民民主連合、社会民主戦線など。
  • 1998年最西端に位置するバカシ半島の帰属をめぐって、隣国のナイジェリアとの間でバカシ半島領有権問題が発生した。
  • 南カメルーン国民会議(SCNC)は1999年に、もとイギリス委任統治領だった、英語話者が多い北西州南西州の2州で南カメルーン連邦共和国アンバゾニア共和国の名で分離独立を求めている。

南カメルーンの分離独立運動の背景にはフランス語話者の方が政治など中心的に支配して有利にある事や経済格差への不満が原因である。南カメルーン政府のサイト

地方行政区分

詳細はカメルーンの州を参照

カメルーンは11つの地域(州とも訳す)、58県に分けられる。 ナイジェリアと接する北西州南西州の2州は、もとイギリスの委任統治領、その他の8州はフランス領だった。

  • アダマワ地域
  • セントラル地域 (中央州)
  • イースタン地域 (東部州)
  • サバナ地域
  • リトラル地域(沿岸州)
  • ノーザン地域(北部州)
  • ノースウェスタン地域(北西州)
  • ウェスタン地域 (西部州)                              
  • サザン地域 (南部州)
  • サウスウェスタン地域 (南西州)
  • ヤウンデ地域 (首都地域) 

カメルーンの地図

地理

詳細はカメルーンの地理en:Geography of Cameroonをそれぞれ参照

サバナ地帯である中部のアダマワ高地を境に、ステップが広がる北部と熱帯林に覆われた南部とに分かれる。アダマワ高地は分水嶺でもあり、主要河川は北部のベヌエ川、ロゴーヌ川と南部のサンガ川。 ケッペンの気候区分ではほぼ全域が熱帯 (A) に属す。北部 (ステップ気候、BS、サバナ気候、Aw)から南部(熱帯雨林気候、Af)に移動するに従い、気候が湿潤となる。このような気候分布をアフリカ大陸の縮図ととらえ、「ミニアフリカ」と呼ぶことがある。

北部の乾季は7月と8月だが、南部はこの時期に雨季となる。アフリカ大陸で7番目に高いギニア湾岸のカメルーン山(4095m)の南西斜面は多雨で有名であり、年降水量1万680mmに達する。

気温の年較差は全国で5度~10度。首都ヤウンデ(北緯3度50分、標高730m)の年平均気温は23.2度。年降水量は1560mm。

なお、北西州にあるオク火山の火口湖の一つであるニオス湖では1986年に、最大規模の火山ガス災害が起こった。湖底に溶け込んでいた二酸化炭素の噴出により、1700人以上が死亡した。

主要都市

ドゥアラは主要道路、鉄道、空路で全国と結ばれており、カメルーン最大の港湾を備える。

都市

経済

詳細はカメルーンの経済en:Economy of Cameroonをそれぞれ参照

カメルーンを含む旧フランス領中央アフリカ諸国で用いられている通貨CFAフランは、フランス・フランとの交換レートが固定されており、安定した経済運営の下地となった。一方、フランの為替レートに引きずられる弊害もあった。経済圏としては、フランス経済ブロックに組み込まれていたと言える。

独立後四半世紀はカカオコーヒーバナナなどの農産物、ついで1970年代後半採掘が始まった原油など第一次産品の輸出によって、アフリカ諸国のなかでも最も経済的に成功していた。その後、1980年代後半から石油と農産物の価格が同時に下がり始め、経済運営にも成功しなかった。このため、10年間の長期不況に陥り、一人当たりのGDPが1986年から1994年までに60%以上低下した。しかしながら、電力をほぼ水力でまかなえるようになったこと、石油増産に成功したこと、農地として適した地勢になどの条件が重なり、2000年時点ではサハラ以南としては経済的に成功している。

アフリカには2つの経済共同体が存在する。西アフリカ諸国経済共同体南部アフリカ開発共同体である。カメルーンは両共同体にはさまれた位置にあるが、いずれにも加盟していない。これは、一人当たりの国内総生産が、1800ドルとサハラ以北のアフリカや南アフリカを中心とする地域に匹敵しており、他国と共同しなくても自立できることによる。二国間経済援助ではフランスの出資が最も多い。1人当りの援助受け取り額は30米ドル(1998年)であり、アフリカ諸国としては平均的である。

貿易相手国はフランス、ドイツ、日本の順である。対日貿易ではコーヒーの輸出が際立つ。ついで木材と綿花である。輸入ではトラック乗用車、ついで機械である。

主な輸出用の農業生産物は北部の綿花、南西部のコーヒーカカオである。南部は熱帯雨林であるため、農業に適さない。耕地はベヌエ川北部に集中している。主食となるバナナイモモロコシなどはほぼ自給できている。イモ、特にキャッサバの収穫量が多い。農業人口は1990年時点の74%から2000年時点の42%まで減少し、第一次産品の加工を中心とする工業やサービス部門が成長している。石油以外の鉱業資源には恵まれておらず、わずかな量の石炭スズが見られるだけである。

国民

詳細はカメルーンの人口統計en:Demography of Cameroonをそれぞれ参照

(住民の人種構成、言語、宗教など) 住民は、南部と西部はバンツー系のファン族バミレケ族バカ族、北部はスーダン系のドゥル族フラニ族などに分かれる。民族集団は275以上に分かれている。

言語は、公用語が英語フランス語である。他にファン語フラニ語などが使われている。

宗教は、現地固有の宗教が40%(主に南部)、キリスト教が40%(主に南部)、イスラム教が20%(主に北部)である。

文化

詳細はカメルーンの文化en:Culture of Cameroonをそれぞれ参照

ドイツ保護領時代の1880年代に伝わって以来、サッカーが盛ん。アフリカネイションズカップでは1984年1988年2000年2002年と通算4回優勝している。他に4回以上優勝した国は、エジプトガーナだけである。1990年FIFAワールドカップ(W杯)では前回の優勝国だったアルゼンチンをカメルーンが破っている。ところが2006年のワールドカップ予選では最終予選で首位を同じグループのコートジボワールに明け渡し、ワールドカップ出場はならなかった。

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 New Year's Day
2月11日 若者の日 National Youth Day
5月1日 メーデー Labor Day
5月20日 建国記念日 National Day
8月15日 聖母マリア被昇天祭 Assumption
12月25日 クリスマス Christmas

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
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旅行
その他

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[ カメルーン ]の改訂履歴 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』
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