「ミシェル・バチェレ」

ミシェル・バチェレ

ミシェル・バチェレ
Verónica Michelle Bachelet Jeria
ミシェル・バチェレ
任期: 2006年3月11日

出生: 1951年9月29日
サンティアゴ
政党: チリ社会党

ミシェル・バチェレVerónica Michelle Bachelet Jeria, 1951年9月29日 - )は、外科医・小児科医でもあるチリの大統領(在任期間: 2006年3月11日 - )。

目次

経歴

サンティアゴ生まれで、父親はチリ空軍のアルベルト・バチェレ准将。1970年にチリ大学医学部に入学したが、父親バチェレ准将は軍人ながらサルバドール・アジェンデ政権に協力したため、1973年9月11日のチリ・クーデターのさい、アウグスト・ピノチェトに逮捕され、1974年3月に拷問死を遂げた。彼女自身も1975年、母親とともに逮捕され拷問を受けた後、オーストラリアに亡命、その後旧東ドイツに移ってフンボルト大学医学部に入学。

1979年、バチェレは軍政下のチリに帰国し、チリ大学に復学、反政府活動を再開する。1983年医学部卒業。一時期、反政府武装ゲリラ組織「マヌエル・ロドリゲス愛国戦線」と関係があったと言われるが、その後合法的な活動に転じ、1990年の民政復帰とともに保健省に入り、汎アメリカ保健機構・WHOなどで活動する。一方で1996年以来、彼女は国防問題への関心を強め、米国のインター・アメリカ国防大学に留学したのをはじめ、国防・軍事の研究を深めた。

1970年代以来チリ社会党(PS)の党員であり、1995年中央委員、ラゴス政権の下で2000年から2002年まで保健大臣、更に2002年から2004年まで国防大臣を務めた。女性の国防大臣は、チリのみならずラテンアメリカ史上初である。しかし、2004年9月に、大統領選出馬準備のため、国防大臣を辞任した。大統領選挙にはコンセルタシオン・デモクラシアから立候補した。2005年12月の第1回目投票で得票率45%あまりで1位となり、2006年1月15日に行われた決選投票で過半数を制し、チリ史上初の女性大統領に当選した。

日本の民社党(当時)は、ピノチェトクーデターを反共主義の立場から肯定していた。バチェレ当選後の1月17日、旧民社党青年部出身者が中心の社会主義青年フォーラムは、バチェレ当選に歓迎の意を表明するとともに、旧民社党のクーデター肯定は「過ちを犯した」とする見解を発表した。[1]

ただし、社会主義青年フォーラムは、民社党後継組織の民社協会からは離れているため、民社協会はこの見解に関係していない。

2007年9月2日に来日した。

脚注

  1. ^チリ大統領選・バチェレ氏の当選を歓迎する」【声明】2006年1月17日、社会主義青年フォーラム幹部会

名前の発音について

ミシェル・バチェレの当選を報じる日本のマスコミ報道は、すべて名前を「ミチェル・バチェレ」と報じている。スペイン語のニュース映像やインターネットラジオを聞く限り、どちらの発音も正解であると考えられる。Michelle Bacheletというのはスペイン語系の名前ではなく、恐らく本来は「ミシェル」と読むと思われるが、この発音はスペイン語を母語とするものには発音しづらいため、よりスペイン語の発音に近い「ミチェル」の発音が広まっていると推定できる。

外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
先代:
リカルド・ラゴス
チリ共和国大統領
2006 -
次代:
[ ミシェル・バチェレ ]の改訂履歴 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』
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