「国際連合教育科学文化機関」

国際連合教育科学文化機関

国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)のロゴ

国際連合教育科学文化機関こくさいれんごうきょういくかがくぶんかきかん)は、国際連合経済社会理事会の下におかれた、教育科学文化の発展と推進を目的として、1945年11月に採択された「国際連合教育科学文化機関憲章」(ユネスコ憲章)に基づいて1946年に設立された国際連合の専門機関である。

目次

概要と歴史

英語の正式名称は、United Nations Educational, Scientific and Cultural Organizationであり、その頭文字をとってUNESCOユネスコと称される。フランスパリに本部がおかれている。

教育や文化の振興を通じて、戦争の悲劇を繰り返さないとの理念により設立の意義を定めたユネスコ憲章の前文には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」との文言があり、ユネスコ設立の目的とその精神を顕著に表している。

活動にあたっては、重点的に推進する目標として「万人のための基礎教育」「文化の多様性の保護および文明間対話の促進」などを定めており、それに基づき例えば前者に関しては識字率の向上や義務教育の普及のための活動、後者については世界遺産の登録と保護、文化多様性条約の採択のほか、歴史的記録遺産を保全する世界の記憶事業などを実施している。そのほか、極度の貧困の半減、普遍的初等教育の達成、初等・中等教育における男女差別の解消などを内容とするミレニアム開発目標をはじめ国際開発目標達成を目指し、所掌事務の中で様々な取り組みを行っている。

この機関の目的に対する各国の関心は高く、加盟国は191ヶ国、準加盟国6を数える(2006年7月現在)。日本は国際連合への加盟が認められた1956年に先立って1951年に加盟した。1980年代には、放漫財政等のマネージメントの問題に加え、活動が「政治化」していることのほか、当時のムボウ事務局長が提唱した「新世界情報秩序」がジャーナリストの認可制を導入し報道の自由を制限するものだとして、アメリカ、イギリスなどの大国が相次いで脱退し、ユネスコの存続は危機に立たされた。この間、ユネスコにとどまり分担金の約4分の1近くを担う最大の拠出国として日本がユネスコの存続に大きな役割を果たした。結局、政治的偏向や報道の自由に対する問題を解消したマヨール事務局長につづき、松浦事務局長のもと管理運営についても全般的な改革がなされ、米国・英国のユネスコ復帰が果たされた(それぞれ2003年10月、1997年7月に復帰)。このように松浦事務局長の改革については高く評価されており、総会や執行委員会でも多くの加盟国から繰り返し表明されている。一方で改革の根幹であるRBMの進展やプログラムの整理、官僚主義的な組織機構についてさらなる取組も求められている。

ユネスコ活動の普及と理解促進のため、世界の著名人を「ユネスコ親善大使」に任命し、様々な活動を行っている。

日本におけるユネスコ活動は、日本ユネスコ国内委員会を中心に行われている。

歴代事務局長

事務局長名 出身国 在任期間
ジュリアン・ハックスレー イギリス 1946年12月-1948年12月
2 ハイメ・トレス・ボデー メキシコ 1948年12月-1952年12月
代理 ジョン・W・テイラー アメリカ 1952年12月-1953年7月
3 ルーサー・H・エバンス アメリカ 1953年7月-1958年12月
4 ヴィットリーノ・ヴェロネーゼ イタリア 1958年12月-1961年11月
代理 ルネ・マウ フランス 1961年11月-1962年11月
5 ルネ・マウ フランス 1962年11月-1974年11月
6 アマドゥ・マハタール・ムボウ セネガル 1974年11月-1987年11月
7 フェデリコ・マヨール スペイン 1987年11月-1999年11月
8 松浦晃一郎 日本 1999年11月-
日本ユネスコ国内委員会仮庁舎(2005年12月撮影)

関連項目

外部リンク

[ 国際連合教育科学文化機関 ]の改訂履歴 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』
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