「日本製鐵兼二浦製鐵所」

日本製鐵兼二浦製鐵所

日本製鐵兼二浦製鉄所(にほんせいてつけんじほせいてつしょ)は、かつて存在した日本製鐵株式會社製鉄所である。現在の朝鮮人民共和国松林市に建設された。

目次

概要

製鉄大合同まで

特徴

主要設備は三菱製鉄時代に既に完成していたが、日鉄時代に第1溶鉱炉拡大、製鋼の予備精錬炉設置が行われた他、低燐銑製造に取組み呉海軍工廠に出荷するなどした。圧延工程では形鋼厚板が生産され、厚板は造船向けであった。

三菱時代の初期、溶鉱炉の年間出銑能力10万tに対し、約5千tを造船用に振当てていたが、海軍軍縮の影響を受け、1922年(大正11年)より既に製鋼圧延の生産が中断されていた。日鉄に参加した1934年(昭和9年)以降、これらの設備の稼動が再開された。当時日鉄では度重なる拡充計画で生産増を図っていたが、兼二浦製鉄所では大きな投資は行われていない。

原料となる鉄鉱石は主に黄海道平安南道から褐鉄鉱が調達され品位は比較的良好であった。一方コークス用の粘結炭が半島内で得らず、華北、九州、北海道、樺太などから購入が必要で、石炭の入荷状況が生産を大きく左右した。[1]

主な設備

  • 製銑設備 第1溶鉱炉12.3万t,第2溶鉱炉10.5万t,第3溶鉱炉12.3万t(年産能力 計35万t)[2]
  • 製鋼設備 年産能力 15万t
  • 圧延設備 年産能力 大形7万t,厚板10万t[3]

その後


脚注

  1. ^ 朝鮮新報(web) 1996年3月16日 現在もコークス炭調達に苦労していると推定される。
  2. ^ 当時、同じく朝鮮半島に建設された清津製鉄所とは溶鉱炉の総能力がほぼ同じである。
  3. ^ いずれも昭和12年時点での設備能力。その後昭和20年まで生産能力拡充は行われていない。
  4. ^ 共和国事典 黄海製鉄所

関連項目

参考文献

  • 日本製鐵株式會社史編集委員会編『日本製鐵株式會社史』、1959年。

外部リンク

[ 日本製鐵兼二浦製鐵所 ]の改訂履歴 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』
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